20. 大藏流狂言の歴史

 

今日は大藏流狂言の歴史を簡単にまとめてみましょう。

誕生は室町時代の中ごろ、貴族の時代から武士の時代へ、鎌倉時代から戦国時代へと、混乱と荒廃の世界の中で、大衆も為政者も皆が癒される何かを求めていた頃、政治や強者に対する反骨や抵抗という姿勢よりも、「笑い」や「風刺」を楽しむことが「癒し」になることを発見し、過去に題材を得た新しい芸能が誕生しました。

当時、近江の国 比叡山で学僧をしていた玄恵法印は、衆徒の教育用手法としての育成を目的として、仏の教えを簡易にし、人として生きる道を知ってもらうために、説話やお伽話を題材にした「会話劇」を考案し利用したのです。

この「会話劇」を「狂言の源」とし、大藏流ではこの「玄恵法印」を流祖としております。
織田信長から豊臣秀吉そして徳川家康へと時は移り、乱世から安泰の国へとその姿が変わってくれば、「あらすじ」と「狙い」だけが決まっていた「寸劇」からスタートした「狂言」は、将軍や大名の庇護を受けるようになり、「台本」のようなものもでき、より芸術性も高められ各地に広まり徳川時代の中ごろには、ほぼ今日の体裁が整いました。

時はたち、徳川時代から明治時代へと政権が移った時、「狂言」の世界に大激震が起こりました。徳川時代には「狂言」だけをしていれば衣食住の心配をする必要はなかったのに、明治維新で扶持してくれた将軍も大名もがいなくなり、明日の米さえ心配の素となりました。これにより、昭和の大戦争が終わるまで暗黒の時代が続くこととなったのです。